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マニュアル化することの意義


 以前勤めた菓子製造業では、製造部社員は一子相伝のような形で仕事を教えられ、その中で自分なりに工夫して腕を磨くという、職人気質が残っていました。

 「小さな菓子店なら、カンコツが鈍ってよくない製品になったとしても、売りに出さなきゃいいわけです。でも、工場で一度に何千、何万個と作る工程では、良いものができて当たり前。良いものを作るための、標準の作業手順や注意するポイント、重要な管理点の基準を決めて、誰も確認できるわかりやすいマニュアルを作ること。それを守って作業していることを確認し、証拠を書面で残すことがHACCPで求められていることです。」こう当時の社長にお話しし、今行っている作業を一つずつ手順を追って文書化することからマニュアル作りを始めました。

 

 初め頭の硬い製造部上司達は、「こんなもの作って何になる。仕事は教えてもらった時にノートに取って、実際自分でやってみて失敗して初めて覚えるもんや。」などと豪語していました。しかし、新人社員が入社して仕事を教える段になると、「前作ったマニュアルを見せて。」という話になり、これは便利だから、もっとわかりやすいマニュアルに進化させようという流れになったのです。しかし、これは稀に見る成功事例です。

 初めてその仕事をする人に仕事を教える時、ノートに書いただけで全てを記憶させる事は不可能です。その時はわかったつもりでも、「ノートに書いてるスイッチってどれだったっけ」とか、「チェックする内容は何だったっけ」とか、後で曖昧な部分が必ず発覚します。さらに、仕事の流れや、重要なポイントの理由が、まだ理解できない新人にとって、箇条書きのものだけで十分理解できるかというと、それも無理な話です。そこにスイッチのある箇所の写真や、チェック基準の画像があると、間違わずに行うことができます。

 そんな、マニュアルの重要性が自分で理解できた、前職の上司はとても偉い人でした。それを本当に感じたのは、次の食品検査会社に入社した後です。

 

 その会社の上司は、保健所から転職した獣医さんで、私よりずいぶん若い女性でした。私の配属された、店舗の厨房や食品工場の衛生点検を行う部署では、現場で拭き取り検査を実施した検体を、検査部門ではない、検査の知識を持たない本人が微生物検査及び判定を行うことになっていました。培地についての知識もない、陽性コロニーを見たこともない彼らに使い易いように、培地や陽性コロニーの写真入りの分析マニュアルを作って上司に提案したところ、「こんなものを何のために作ったか知らないけど、マニュアルには書式が決まっています。こんなものは使わないで。」と言われました。

 彼女が作ったマニュアルは、法文のような文字だけのものです。実際に作業する人からは、上司には内緒にするから、私が作ったものを使わせて欲しいと頼まれて、内緒で印刷してあげました。

 

 会社が大きくなり、権威だけがまかり通るようになると、文書だけが増えていき、実際作業する人が置き去りにされるケースが見られることがあります。文書は文書保管庫にあり、作業者は入社時に教えられた記憶だけで作業する。その時に誤認してしまったり、途中で自分勝手にやりやすい方法に変えられていても、何かのタイミングで発覚するまでは、自分でマニュアルを確認する事はないのです。

 それとは別に、HACCP義務化に際して、文書化をコンサルタント企業に外注して外部認証を取得した工場では、マニュアルが実際の作業と異なり、文書自体が置き物となっているケースが散見されます。

 そのほとんどの原因が、作業の円滑な流れの中で、安全な製造に関する重要なポイントを明確にして、共有することの重要性を、上司が認識していないということです。

 

 現行の正しい作業の流れを、ひとまず文書化し、その作業のポイントとなる部分を、写真や挿絵を交えてわかりやすくマニュアルにする。それを使って作業の教育を行い、作業を体得するまでは、作業前後にマニュアルを確認することを続ける。

 さらに、マニュアルに改善の余地がある場合は、作業者、上司、HACCPメンバーが納得のうえ更新する。

 それこそが仕事への責任感や、創造力を養うことになるのです。

 もし今、マニュアル作成で上司に阻まれているとしても、望みを捨てないでください。もっと上の上司に進言してみましょう。それでも理解がないとしても、諦めてはいけません。最も自分に身近な作業のマニュアルを、自分なりに作ってみましょう。そして、自分のすべての作業をマニュアル化し、いつでも引継ぎできるようにしておくのです。

 きっと、それがあなたの力になり、次のステップにつながること間違いなしです。