微生物は、普段ふわふわ漂っていて、たまたま食品に出会って付着増殖しているものと思っていました。
でも、さすが地球最古の生命体として、これまで命をつないで来た微生物です。その生き残り対策はとてもタフで巧妙です。キーワードになるのが今回の主題バイオフィルムです。
そもそも、ステンレスやプラスチックでできている物の表面は、イオン的にマイナスに帯電しています。そこに水分とともにプラスに荷電したタンパク質などの有機物や無機質が接触すると、瞬時に表面に皮膜を形成します。通常、微生物の細胞表面はマイナスに帯電しているため、そんな餌になる物質が付着した表面に、楽に付着することができるのです。
付着した微生物は被膜を栄養源として利用しながら分裂増殖する中で、自らが出す細胞外多糖で立体構造の要塞を作り上げます。それは水分をとりいれることができ、乾燥から細菌を守ってくれます。この三次元構造の要塞の中で、多くの種類の微生物がミクロコロニーを作り、互いに情報や生成物、遺伝子までも交流して共存しているのです。最も身近なバイオフィルムである歯垢は、歯の表面に8時間程度で500〜700種類の微生物が共存する、ざらざらした構造体を作り上げます。
バイオフィルム内はpHの変化や薬剤に強い耐性を持ち、保水性があり、あらゆる物理的や化学的攻撃から微生物を守ることができます。バイオフィルム内の微生物はクオラムセンシングという情報交換物質で互いの距離感などを確認し、生理活性を落として活発な増殖はしなくなるため、比較的安定な環境が維持されます。それでも微生物の密度が飽和に達すると、クオラムセンシングを飛ばし周辺の菌を放出します。
バイオフィルムから放出された菌は、しばらくはこの耐性が続くため、一般的に定められている殺菌条件では生き残れるようになります。また、放出される菌はまとまった数であるため、汚染の度合いも大きくなるのです。
物の表面と水があればどこでもバイオフィルムは形成されます。熱にも薬剤にも強いバイオフィルムの除去には物理的に剥がし取るしかないと言われますが、食品工場や厨房に無数にある水分にさらされる表面に対し、完璧に清掃することは困難です。それではどうすれば、この最強のバイオフィルムから食品を守ることができるのでしょうか。
私は食品製造施設・設備の洗浄方法として、次亜塩素酸イオンを含む薬剤で泡洗浄をすることが最も適していると思っています。一度目は泡洗浄後ブラシでこすってピカピカにします。その後毎日の清掃で、泡洗剤を噴霧して30分くらい置き、水で流すだけでバイオフィルムの形成が抑えられます。
次亜塩素酸ナトリウムは酸性領域で次亜塩素酸(HClO)として、アルカリ性領域で次亜塩素酸イオン(ClO−)として存在します。次亜塩素酸は殺菌力が強く、次亜塩素酸イオンはたんぱく質などの洗浄に強い効果を示します。
バイオフィルム内の微生物は次亜塩素酸の殺菌力が及びにくい為、酸性水のようなHCLOの殺菌力に頼る方法では十分な殺菌は望めません。問題はバイオフィルムが付着している物質の表面の、たんぱく質などの皮膜を除去することです。つまり、アルカリ領域で次亜塩素酸イオンを含む洗剤を選択することがバイオフィルムの洗浄に効果があるというわけです。
もうおわかりのように、現在、微生物の殺菌基準として発表されている温度や時間、薬剤濃度などは、単離した微生物…つまりは丸裸の弱い微生物で実験された結果です。バイオフィルムに包まれて最強となった微生物は、この条件を軽々と越えていけることを忘れてはいけません。
今回バイオフィルムの実像に触れ、今まで、食品工場で微生物検査を実施してきたなかで、ずっと疑問だったことが少し腑に落ちた気がします。
その一つが、汚染した箇所に泡洗浄を始めた際、一時的に拭き取り検査の菌数がむしろ多くなるという現象です。泡洗浄を毎日継続していくと、どんどん菌数は減少するのですが、その頃、私はこれを「菌を起こした」と表現していました。
きっと、1度目の泡洗浄でバイオフィルムが破壊され、放出された最強な微生物が洗浄後残ってしまったのでしょう。「菌を起こした」という表現にたいしては、自分も経験があるという方や、洗い方が悪いんだけじゃないのという方など、色々なご意見を頂きました。ですがこの本を読み終えた今、我ながら的を得ていたんじゃないのかなと思っているところです。
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